このカテゴリー、およそ一年前に書いたっきりで放置してましたが、
久しぶりに書いてみようと思う。
さて今回は「華胥の幽夢(かしょのゆめ)」より「帰山」。
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利広は呟く。――かくも王朝は脆い
王朝がひとつ死ぬたびに思うんだよ。
看取っていると、否応なく思う。――死なない王朝はないんだ、と。
永遠の王朝などあり得ない。
死なない王朝がないなら、必ずいつか奏も沈むはずだ。
永遠のものなどなかろう
そういうものだ、何もかも。
そう分かっているのに、どういうわけか私は奏の終焉を想像できないんだ。
当然だ。己の死に際を想像できる奴などいない。
…雁なら想像できるんだけどなあ。
雁が沈むのは、延王がその気になったときだよ。
これという理由もないまま、ある日唐突に、それも悪くないと思い立つんだ。
―そうだな、たぶん博打を打つな。天を相手に賭けをするんだ。
悪くない、と風漢は笑う。
俺も奏なら想像がつかないでもない。
風来坊の太子が、この世に繋ぎ止められるのに飽いて、宗王を討つ。
まずいなあ。……あり得るような気がしてしまった。
……想像の範疇のことは起こらぬ。そんなものは、たいがい回避済みだ。
かもね。
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奏とは治世六百年つづく十二国の中の一国である。
利広は奏国宗王の次男坊。
六百年の間で倒れていく国を何度も見てきた。
一方、
風漢は雁国延王 尚隆の仮の姿(暴れん坊将軍でいうとこのしんさんみたいな感じ?笑)
雁も治世は五百年と長い。
国を治める王やその側近たちは、不死身に近いため、
彼らも国の治世と同じくらい生きていることになる。
上の会話はそんな長生きで風来坊な二人が、
今にも倒れそうな柳国で再会したシーン。
永く生き、何度も倒れていく国を見ているからこそ、
共通して思うところがあるのだろう。
変わらず永遠に続く物はない。
永くなるほど、不安を感じる。
利広が、放浪の旅に出ては、必ず帰って来るのも、
「まだ自分の居場所=家族=国はある」と確認するためなのだ。
先は見えないものだけれど、続けていくための戒めがあれば、
まだまだ進める、そんな意志を感じた。
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この二人のやりとり好きなんだよね。
面と向かっていながら、わざとらしく“風来坊の太子”だの“延王”だの言い合ってるところとか。
飄々とふざけながら、真面目な話してんだよなぁ(笑)
尚隆が奏に行って遊んで捕まっちゃった話とか書いてくれないかしら(笑)
あとは恭国と奏国の話もみたいなー。
華胥の幽夢(ゆめ)―十二国記
小野 不由美, 山田 章博
⇒ 京 (06/18)
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